板石塔婆(いたいしとうば)

板石塔婆(いたいしとうば)

板石塔婆について 深谷市教育委員会

板石塔婆は13世紀はじめの鎌倉時代から16世紀末の江戸時代のはじまりにかけて全国に見られる石製の供養塔の一種です。関東地方では、製作された板石塔婆の多くの石材が、長瀞周辺の結晶片岩(けっしょうへんがん)を利用していたため、「青石塔婆(あおいしとうば)」とも呼ばれています。

この板石塔婆は、死者に対する追善供養や死後における極楽往生を願って盛んに製作されました。この時期仏教が、当時の武士たちに鎌倉仏教として広く信仰され、武蔵武士の本拠地であった県内には現在約2万基ののぼる板石塔婆が所在しており、質、量ともに全国一の規模を誇っています。

この萬福寺の板石塔婆も長瀞周辺の石材を材料としているものと思われます。この板石塔婆はその中でも双式板石塔婆(そうしきいたいしとうば)とよばれるもので、一枚の石材に二基分の種子が彫られているものです。このタイプの板石塔婆は県内でも類例が少なく現在のところ町内ではこの一基のみで、貴重なものと言えます。表面に彫られているのは阿弥陀三尊を意味する梵字で、蓮座の上に阿弥陀如来(キリーク)、この下に向かって左側に勢至菩薩(サク)、右側に観音菩薩(サ)が配されています。建立年は下半分が欠損しているため判明しません。また、現在の萬福寺のある場所は中世武蔵武士の猪俣党の流れをくむ飯塚(掃部(かもん))氏行(うじゆき?)の館があったと言われ、本堂裏に当時の空堀の一部が残っています。平成元年4月、町指定文化財に指定しました。

平成4年3月深谷市教育委員会

出典:境内教育委員会設置看板より

深谷市教育委員会

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